民泊ホストがチラシを断る理由|ゲストの口コミ評価に直結する危険性

「このチラシ、部屋に置いてもらえませんか?」
カフェの店主が笑顔で差し出す、かわいくデザインされた小さな紙。
マッサージ屋の方が「外国人にも人気なんですよ」と言いながら持ってくる、観光客向けの割引チラシ。
たしかに魅力的だ。応援したくなる気持ちもある。
でも弊社では――それでも――その手を、丁重に断る。
なぜなら、“小さな親切”が、宿の未来を壊すことがあるからだ。
旅の良し悪しは、宿だけで決まらない
弊社が運営をしているのは都市型の民泊とリゾート地の貸別荘。
そんな空間に、チラシを1枚――いや、2枚、3枚と並べ始めると、途端に「情報」が部屋を支配し始める。
「近くの◯◯カフェが今だけ10%オフ!」
「マッサージ60分コースが外国人に人気!」
「お土産は駅前の◯◯で!」
紙に印刷されたその“お得な情報”たちは、まるで旅の行き先を無言で誘導してくる。
でももしその店が、期待よりもイマイチだったら?
おいしくなかったら?
高かったら?
対応が雑だったら?
「チラシを見て行ったのに、がっかりだった」
そう思ったゲストが、最後に振り返るのは、宿なのだ。
「なんでこの宿は、こんな店をすすめてきたんだろう」
「レビューはよかったのに、なんか微妙だったな」
星が1つ、減る音がする。
「ただ置くだけ」が、宿のブランドを壊す
チラシを置くという行為は、一見小さなことだ。
「テーブルのすみに1枚だけ。おしゃれなカフェの案内だし。」
「無料の割引券がついてるから、ゲストも喜ぶでしょ?」
でも、その“ちょっとだけ”が積み重なると、宿の空気が崩れ始める。
不思議なもので、人は空間の「意図」を敏感に感じ取る。
部屋のどこかに営業の匂いがすると、心はほんの少し、閉じてしまう。
「この宿は、何を目的にしているんだろう?」
「なんでこんなに紙が多いの?」
せっかくリラックスしに来たのに、まるで観光案内所にでも来たような気分になる。
ホスピタリティとは、なにを“足すか”ではなく、なにを“引くか”だ。
情報過多の現代では、むしろ「情報を排除すること」が最大の贅沢になる。
「紹介」という名のリスク
チラシに載っているお店やサービス。
自分で行ったことがあり、味も雰囲気も確かであればまだいい。
でも、多くの場合は「まだ行ったことのない場所」だったりする。
それを宿としてゲストに「紹介」するというのは、見ず知らずの誰かを、自分の信用の中に連れてくる行為だ。
この感覚、意外と見落とされがちだ。
たとえばSNSで、フォロワーにおすすめするお店を紹介するとき。
あなたは自分の言葉で紹介するだろう。味は? 値段は? 雰囲気は? ちゃんと自分の目で確かめて、責任をもって伝えるはずだ。
でも宿に置かれたチラシは、ただ“そこにあるだけ”で、無言の推薦状になる。
ゲストはこう思うのだ。
「宿がこれを置いてるってことは、“おすすめ”ってことなんだな」と。
その結果が、がっかり体験だったとしたら?
「がっかりした店を、勧めてきた宿」――そのレッテルは、あっという間にレビューに書き込まれる。
あなたがすすめたその店、営業やめたらどうする?
もっと踏み込んだ話をしよう。
たとえば、あなたが信頼していたカフェが急に閉店したとする。
あるいは経営者が変わり、サービスの質がガラッと落ちたとする。
チラシだけが、宿に置きっぱなしだったとしたら?
「チラシを見て行ってみたけど、やってなかった」「最悪だった」
これ、レビューに書かれたら、誰のせいだと思う?
チラシを置いた、あなたのせいだ。
お店の変化や評判の劣化まで、宿が背負うことになる。
それって、冷静に考えると、ハイリスク・ノーリターンだ。
紹介しないことは、不親切じゃない
もちろん、地元のいいお店を紹介したい気持ちもある。
でも弊社では、その情報は「必要になったら、聞かれたら、丁寧に伝える」と決めている。
本当にいいお店は、クチコミで伝わる。
本当に気になる人は、自分で調べて行く。
宿ができるのは、“情報を押しつけない空間”を用意すること。
旅の余白を、ゲストに委ねること。
チラシはその余白を埋めてしまう。
だから、弊社は置かない。
情報を排して、生まれる信頼
たかがチラシ、されどチラシ。
情報を減らすことは、宿の美学を保つこと。
ゲストの自由を尊重すること。
そして、自分自身の信用を守ること。
チラシを置かないことは、ホスピタリティの放棄ではない。
むしろ、本質的なホスピタリティへの回帰だと、私は思っている。
宿は、無言で語る。
そこに置いてあるものすべてが、「あなたに、ここでどう過ごしてほしいか」を静かに伝えている。
だからこそ、弊社は今日も――チラシを、置かない。